第13回年賀状思い出大賞

2021.12.02

 本年は郵便創業150年。㈱グリーティングワークス(德丸博之代表取締役会長)が企画し、日本郵便が後援する「年賀状思い出大賞」が13回目を迎えた。今回は佳作に輝いた感動の4作品を紹介する。長引くコロナ禍の中でも、大切な人に思いを届ける「文の力」は絶えることはない。普段は、なかなか伝えられない言葉や感謝を載せた年賀状のエピソードを味わっていただきたい。

佳作 1 工藤 哲治 様

「校長先生への年賀状」

 「守君、年賀状を書いてみようか」受け持ちの守君にそう伝え、誰に出そうかと学校の友達や先生たちの写真を見せたところ、校長先生の写真を指さした。
 知的障害のある学校に在籍する守君は、この学校で重度に属する子で、言葉は少し理解できるものの話すことはできず、文字を読んだり書いたりはできない。
 年賀状を書くにあたっては、筆を使うことにした。守君は筆を手に取ると、楽しそうに手を動かして大きな丸を書いた。校長先生への日頃の感謝を込めたメッセージだった。
 冬休みが明け、校長先生が声をかけてくれた。「年賀状ありがとう。とても味のある丸だったよ。ところであれ、なんて読むの?」隣にいた私は、あれは「みんな仲よく」って読みます、と愛くるしい笑顔の守君に代わって答えた。
 校長先生、守君の心からのメッセージをきちんと受けとめてくれて、ありがとう。
 

佳作 2 やまとも 様

「復興の兆し」

 東日本大震災で住居を失った友人と、年賀状のやり取りを始めてまもなく十年が経つ。それまでの疎遠を震災が埋めるような形で始まったこのやり取りは、当初こそ互いを無理に鼓舞するような堅苦しいものだったが、回数を重ねるにつれ、まるで学生の頃に交わした会話のような他愛のないものに戻っていった。私は、その変化は日常を取り戻すものとして、好意的に受け止めていた。が、年賀状に記された友人の住所が、仮設住宅の所在地であることを認めるたびに、この震災がいまだに終息していないことを、改めて突き付けられたような気持ちになった。
 「来年の年賀状はこちらにお願いします」それでも街は、少しずつ復興の兆しを見せ始めていた。今年の一月にもらった年賀状には、友人の踊るような文字が新しい住所を教えていた。そこには、二階建ての家が下手くそな絵になって添えられ、友人の喜びを伝えていた。来年の年賀状にはお祝いの言葉を贈ろう。

佳作 3  たあさん 様

「妻への感謝状」

 結婚五十年。欠かさずやってきたことがある。それは、妻への年賀状だ。なんてことはない。今年は山へ行こうだの、健康でいようだのと書く程度だ。たまに「愛してる」なんて書いたこともあったような。
 だけど一昨年、妻が帰らぬ人となった。やっと携帯電話を解約できたのも一ヶ月後。解約理由に「本人死去」と書くなり死が現実味を帯び、泣きながら帰った。
 年の瀬が近づき、喪中はがきと一緒に、一枚だけ年賀はがきを買った。妻への最後の年賀状だ。しかし最後だと言うのに、最初の言葉が出てこない。出てくるのは妻との楽しい思い出ばかり。一緒に通ったリハビリ。一緒に泣いた映画。そんな「一緒に」を振り返り、幸せを噛み締めた。どれもこれも妻のおかげ。ならば、伝える言葉はひとつしかない。
 「長い間、本当に、ありがとう」最後の年賀状は感謝状になった。

佳作 4 菊池 結月 様

「国境を越えて」

 私は毎年、ある一枚の年賀状を密かに楽しみにしている。それは少し皺が寄ったり、宛名が滲んだりしている。だが、可愛い封筒に入れられた厚みのあるそれを手にすると、私は温かい気持ちになる。
 この年賀状の送り主は、小学校でALTの授業をしてくれていたイギリス人の先生。英語に興味があった私は、彼女が帰国の際に勇気を出して住所を聞き、そこから七年間、イギリスと日本での文通をしている。
 そんな彼女からの年賀状は、数年前から一味違う。三年前のそれには拙い文字で「あけましておめでとう」の文字が。日本語の勉強を始めたようだった。それから日本語は増えていき、遂に今年、「あなたと日本語で話せる日を願っています」と書いてあった。これを見た瞬間、私は早く彼女に会って、この溢れる気持ちを伝えたいと心から思った。一年に一度のこのやりとりに、ここまで感動するのは初めてだった。
 年賀状は国境を越えて、想いまでも乗せてくれる素敵なものだと改めて思った。