第16回年賀状思い出大賞 (入賞作品から①)

2024.11.24

 大切な人との懐かしくも温かなストーリーがよみがえる、かけがえのない年賀状文化。㈱グリーティングワークス(徳丸博之代表取締役会長)が企画し、日本郵便が後援する「年賀状思い出大賞」は第16回を迎えた。全国から寄せられた394作品の中から、各賞に輝いた感動の受賞作を全3回にわたり紹介する。

大賞 りーちゃん 様 「一年の一度の一言」

 私は今、高校三年生。中学二年生から、卒業しても年賀状を送り合っている数学の先生がいる。
 私にとってその先生は、数学の面白さを教えてくれた人であり、悩んでいる時に相談にのってくれる人であり、出会えて良かったと思う人だ。そんな先生からくる年賀状は、最後の言葉が決まっている。

 「応援しています。」この一言を見るたびに泣きそうになる。
 毎日のように会っていた先生が、今では一年に一度、会えるかどうかという中で、遠くから私のことを応援してくれている。どんな壁にぶつかっていようと頑張れてしまう魔法の言葉。
 年賀状とは、書くのも送るのも大変で、嫌になってやらなくなる人もいる。年賀状を送り合う中で、その素晴らしさを知ってしまった私は、来年も多くの人に送るだろう。もちろん、年賀状で勇気をくれる先生にも。

準大賞 ういろうたろう 様 「三十一年間の成長記録」

  私の教職人生は、三十三年前の予想だにしなかった特別支援学級の担任からスタートした。当時の私は、わずか六人の生徒に悪戦苦闘。知的障害、情緒障害等、一人一人の障害は多岐に渡っていた。
 泣きながら出勤した日、休み時間トイレに駆け込んで泣き崩れた日もあった。特に自閉傾向のHさんの心を開くことに苦心。しかし出張の日「先生に逢いたい」と泣いてくれる日も増えた。出張前日に翌日の旨を彼に伝えると、出張の日も安定。日々の成長に感極まり、涙する日もあった。

 彼と離れてから三十一年。毎年元旦に年賀状が届く。最近はパソコンの賀状だが、最後の一行は手書きで添えてある。辰年の今年は「勤続二十五年で表彰されました」であった。胸が熱くなり泣けた。幼き頃の彼の姿がまた蘇った。
 来年、巳年の彼からの年賀状はどんな報告だろうか。私が彼への年賀状に添える一行は、三十三年ぶりの再会の実現に決めた。その日を今か今かと待っている私がここにいる。

日本郵便賞 菜の花 様 「年賀状が与えた勇気」

 「いつでも待ってるぞ! たまには顔見せに来い!いつも応援してるぞ!」
 その年賀状は、二〇二一年の元日、私が中学二年生のときのもの。不登校になってしまったことを祖母に知られたくなくて、毎年恒例の親戚の集まりに行かず、家で一人、留守番をしていたときに届いた。
 差出人は小学生のときの陸上部の先生だった。卒業してからなかなか機会がなくて会えていないし、前年は年賀状のやりとりをしていなかったので驚いた。だが、それ以上に嬉しかった。

 不登校になったばかりだったあの頃、私は自分自身に絶望していた。「ずっと、このままなのではないか」と。そう思っていたときに届いたあの年賀状は「絶対に立ち直れる」「ずっと味方だ」そう言われているようで嬉しかった。
 今でも先生との年賀状のやりとりは続いている。今年は高校三年生。冬に出す年賀状には「志望校に合格しました!」と書けるよう頑張りたい。

挨拶状ドットコム賞 花花 様 「触って感じる思い」

 小学生の頃に見た母宛の年賀状で、印象深いものがある。ピンク色でシンプルな太陽のイラストが描かれたものだ。その太陽は立体のペンで描かれており、イラストの部分が3Dのように膨らんでいるので、触るとデコボコしている。子供心にそれが面白くて、膨らんでいるイラストの線を何度もなぞった。
 後で知ったのだが、この年賀状は母の友人から送られたもので、太陽のイラストは目の見えないお子さんが描いたものだったらしい。

 メールやSNSで新年の挨拶を済ませることが増えた昨今の日本。メールの文章は読んでもらうことができるが、どんなに素敵な内容でも、直接触ることはできない。紙なら文字が読めない人でも、インクの匂いや触りごこちを感じるし、立体ペンを使えば触ってわかるイラストや文字を書いて、相手に伝えることができる。
 紙だからこそ、文字通り「触れることができる」思いがあるのかもしれない。