第16回年賀状思い出大賞

2024.12.15

 大切な人との懐かしくも温かなストーリーがよみがえる、かけがえのない年賀状文化。㈱グリーティングワークス(徳丸博之代表取締役会長)が企画し、日本郵便が後援する「年賀状思い出大賞」は第16回を迎えた。全国から寄せられた394作品の中から、佳作に輝いた感動の受賞作4作品を紹介する。

佳作1 おのじゅん 様 「心の絆創膏」

 かれこれ十五年間、大切にしている年賀状がある。単身赴任中に妻から届いた一枚だ。
 当時、私はアメリカのアラバマ州に転勤が決まり、妻と幼い息子は東京に残ることになった。

 初めての海外赴任は戸惑いばかり。言葉が通じず、ジェスチャーさえも伝わらない。心労から一気に白髪が増え、体重は五キロ落ちた。日本にいる時はあんなに楽しかったのに。頼みの綱である電話も、国際電話となると額も額。そんな訳で、私はひどくホームシックになってしまった。
 そんな中で迎えたお正月。妻から年賀状が届いた。丸っこい、可愛らしい字で「離れていても一緒だよ。大好きだよ」と書かれていた。「大好き」の文字はピンクの太字だった。本当は妻だって大変なはずなのに。私は年賀状を見ながら涙が止まらなかった。
 あの時の年賀状は今もたまに見る。ホームシックの傷を癒やした妻からのラブレター。心の絆創膏として。

佳作2 大越千鶴子 様 「孫からもらう宝物」

 三人の孫がそれぞれ小学生になってからは、孫一人一人に毎年、年賀状を送っている。まだこの漢字は習っていなくて読めないかもと一字一字に気をつけながら、年齢相応の年賀状を考えるのは、私のひとつの楽しみとなっている。

 そして、孫からの年賀状。孫たちとは同じ市内に住んでいるのでいつでも会うことができ、手紙がくることはない。だからこそ、一年に一度届く手書きによる工夫を凝らした孫たちからの三通の年賀状は、私にとっては宝物だ。面と向かっては言いにくい孫なりの感謝の一言や、添えられている気遣いの言葉は、毎年私の目頭を熱くさせる。
 年々しっかりしてくる字体、言葉、絵など、成長の過程が一目でわかるよう、年賀状は大切にファイリングして保管している。孫たちが成人した際はそれを披露しよう。その瞬間の表情と反応を今から心待ちにしている。

佳作3 おおやまゆみ 様 「三十五人の心友」

 幼少期の大半を病院で過ごした。親友と呼べる人もおらず、顔と名前が一致しない。そんな入院生活はさびしくて切なくて…… 。
 だけど、ある年のお正月。私宛に年賀状が届いた。差出人はクラスのみんな。きっと先生がまとめてくれたのだろう。その年賀状には「二年二組からパワーをおくります」と書いてあった。「待ってるよ」「病気に負けるな」「ひとりじゃないよ」それら一つ一つが心の抗がん剤。

 年賀状には直接会話できる機能はない。けれど、その人の表情が、優しいまなざしが、文字を通してじんわりと表れる。そこにはいない「あなた」が見える。そうか。年賀状って一枚じゃなくて、一人なんだ。
 あれから何度も病院でお正月を迎えた。でも、みんなからの年賀状を見るたび勇気が湧く。結局、ほとんど学校には通えなかったけど、心は通っていた。
 今ならハッキリ言える。あのクラスの三十五人。彼らは親友じゃなく「心友」だ。

佳作4 mkm 様 「ほろ苦いデビュー」

 小学校四年生のとき、年賀状をもらった枚数の多寡はステータスだった。しかし、これまでの私は引っ込み思案で、年賀状を送り合う友達がいなかった。だが今年はちがう。
 担任の先生のおかげで学校が好きになった。はじめて、一枚一枚贈る友達を思い浮かべながら言葉を考える。こんなに楽しい時間を知らなかった。

 母にはクラスの人数分の年賀はがきをもらったが、どうしても先生に年賀状を送りたかった私は、郵便局で一枚はがきを買った。自分で買ったはがきで、自分を変えてくれた先生へ、自分の言葉を綴り、ポストへ投函した。宛先は小学校にした。
 すると、二日後に先生から「素敵なお年賀ありがとう」と言われてびっくり。買ったはがきは年賀はがきではなかったため、もう学校へ届いてしまったのだ。
 師走の教室。嬉し恥ずかしい年賀状デビューとなった。