第13回年賀状思い出大賞

2021.12.19

 郵便創業150年の本年、㈱グリーティングワークス(德丸博之代表取締役会長)が企画し、日本郵便が後援する「年賀状思い出大賞」が13回目を迎えた。最終回の今回は、佳作に輝いた感動の4作品を紹介する。一葉の年賀状につづられた一言で、人生が大きく変わることもある。この1年の越し方を振り返りつつ、希望輝く新年を年賀状とともに出発したい。

佳作5 もんちゃん 様 「同い年の男の子」

 小学生の私は、年賀状が大好きだった。一枚ずつ干支の絵を色鉛筆で書き、学校の友達に送る。冬休みの楽しみな行事のひとつだった。
 「そうだ、あの子にも書こう」違う学校に通う同い年の男の子。親同士が知合いで、たまに遊びに行き、一緒にファミコンをした。途中でけんかになり叩き合い、気が強い私はその子を泣かせて謝る。すぐ仲直りをして、また遊ぶ。帰らないで」と最後に泣かれるのが常だった。「あの子にも年賀状を出したいなあ」と思い、とびきりの年賀状を書いた。「お母さん、住所教えて」「知らないよ」たまに遊びに行く家の住所を、我が家の人間は誰も知らなかった。がっかりして断念した。

 一月一日、学校の友達から年賀状が届いた。三日、四日となると少なくなる。ふと見ると、父が外で爆笑している。駆け足で見に行くと、あの子からの年賀状だった。住所知らないはずなのに。
 「益子町やまのなか、なっちゃん」宛名にはそう書かれていた。笑っていたが嬉しかった。

佳作6 阿部 広海 様 「心を動かした一枚の年賀状」

 僕は高校二年の時、大きな過ちを犯してしまい、八ヶ月間施設に入った。日課は厳しい訓練と職業実習の毎日だった。実習は木工製作が主で椅子や本箱を作った。その時の講師がK先生という見るからに職人風の強面の先生だった。指導は厳しく怖い先生だったが、努力や熱意をすごく評価してくれた。僕はそんなK先生に人間的な魅力を感じていた。
 謹慎期間が明け、K先生の紹介で宮大工見習いの仕事に就いた。宮大工になって最初の正月を迎えた。元旦、僕に一通の年賀状がきた。K先生からだった。生まれて初めてもらう年賀状は嬉しかった。
 「賀笑 ヒロ!宮大工になる前に人間になれ」

 力強い筆文字の言葉は、僕の心を揺り動かした。毎年この言葉に励まされ、勇気をもらって今まで生きてきた。棟梁になって十二人の弟子を育て、今やっと先生のこの言葉の答が見つかったような気がする。
 一枚の賀状が僕の人生の原点である。

佳作7 戸渡 さおり 様 「カンボジアからの年賀状」

 大学で仕事をしている時に出会った学生の中に、アンコールワットの遺跡調査を職場に選んだ女性がいる。最初にもらった年賀状には、次のようにしたためられていた。
 「ついに日本を脱出しました。『あなたのそのユニークさ、とっても好き。これからも自分の感性を大切にして』と言ってもらったこと、忘れません」
 その後、彼女はカンボジアに定住した。遺跡だけでなく、カンボジアそのものの魅力を世界に発信したいと、文化や暮らしの紹介をするツアーを企画している。

 今年の年賀状には「小さなホテルを買い取り、開業しました。この前もらった年賀状の『他人の評価より、自分の納得を大切にしてください』という一言がきっかけだったかもしれません。コロナが落ち着いたら、是非遊びに来てください」
 たった一枚の年賀状。そこで私も世界とつながっていた。年賀状から世界が見えた。

佳作8 夢見る六十代 様 「忘れられない贈り物」

 夫との出会いは、大好きな叔父の紹介だった。会ったその日に一目惚れしてしまった私の人生は、そこから大きく変わった気がする。
 それまで付き合ったこともない地味で野暮ったかった私が、鏡に向かって少しでもきれいになりたいと腐心した。六十七年の人生の中で、後にも先にも、あれほど胸がきゅんきゅんしたことはない。二十代という若さにも、恋という魔法にも、どれほどのエネルギーがあるか思い知らされた。

 一年後、幸せなことに結婚できたが、そんな一生に一度の恋の中で忘れられないのが、夫からの年賀状だ。手書きのへんてこな漫画を添えた文章に泣けた。「あけましておめでとう。今年は二人の新しい生活が始まります。楽しみです」と書かれていた。短い言葉に込められた思いに心が踊り、何度も読んでは胸に抱き締めた。
 今思い出すと、私にとって最高の年賀状であり、最高の贈り物だった。