川瀬巴水による簡易保険局(田町)の絵葉書 郵政政策部会 米山高生部会長

2024.08.11

 浮世絵は、絵師から摺師までのさまざまな工程を分業する職人たちのネクサスの賜物であり、個人の芸術家による版画とは異なる。明治期になり、洋画や写真が普及するにつれて、浮世絵の本来の需要が激減し、江戸時代から続く職人たちのネクサスが崩れ始めた頃、渡邊庄三郎は、浮世絵の技法を保持しつつ、新しい時代の要請に応えた新版画というジャンルを提唱した。

渡邊庄三郎との出会いが川瀬巴水に「化学反応」生む

 洋画や美人画を学んだ、晩学の川瀬巴水は、自分の本当の芸術的境地に至っていなかった。渡邊との出会いは、川瀬巴水に「化学反応」を生み出した。また逆にいえば、美人画の他に、風景画でも優れた絵師を探していた渡邊は、川瀬を「発見」したのだ。
 八王子市で川瀬巴水の展覧会があったので立ち寄った。初期の作品から絶筆に至るまで系統的に展示されており、川瀬を理解する上で良い機会となった。美術評論家ではないので間違っているかもしれないが、川瀬が風景画で描きたかったのは、日本の風景の美しさばかりでなく、その場の空気だったのではないかと思った。
 いってみれば、風景の「景」ばかりでなく、「風」の重要な要素だったのではあるまいか。松江で描いた同じ構図の3枚の作品(「おぼろ月夜」「曇天」「三日月」)を見ると分かる。
 画家、あるいは絵師の川瀬は、岩崎の依頼に応じて岩崎邸を描いた。また注文に応じて雑誌の表紙も描いている。逓信省は、東京・田町に簡易保険局を新築するにあたって、川瀬に絵葉書用の版画の制作を依頼した。誠に堂々とした簡易保険局が描かれている。また見る者は、新築の簡易保険局を取り巻く凛とした空気を感じ取るものと思う。その意味で、これはまさしく川瀬巴水の作品である。