初期簡易保険契約者の階層別分布 郵政政策部会 米山高生部会長③

2024.10.13

 簡易保険事業が1916(大正5)年に創業されたことは周知のことである。だが、創業当初、簡易保険がどのような階層の人々に普及したのかについては、あまり知られていない。この絵葉書は、1920(大正9)年3月末日の被保険者の職業別の契約数が棒グラフで示されている。「農業」が最も多く、35万2000人。次が「家族無職業」だが、「農業」に匹敵する35万人を数えている。これに「被庸職工及一般使役人」と「商業」が20万人台で続き、さらに「工業」「雑業」が10万人台で続く。残りは「官公吏、軍人」、「学生」「教員」と「漁猟業、船夫」である。

庶民層は簡易保険の「貯蓄」にも期待

 大正時代には、都市化や工業化が進展し、GDPにおいては第二次産業が主要な位置を占めていた。都市部の中産階級は、高額な民間保険を購入することができ、さらに富裕階層ならば、海外生保のセミトンチンの生命保険を購入することもあった時代である。しかしながら「庶民」には、安心できる貯蓄方法が少なかった。
 グラフから次の2点が推測される。第1に、簡易保険の小口性と貯蓄性が庶民に理解されたこと。「家族、無職業」が多数であったことは、小口養老保険の持つ「貯蓄性」を狙って、戸主だけでなく、妻や子息らの家族も購入したことを示している。
 第2に、安全で信頼できる貯蓄手段へのアクセスが難しかった階層の人々に簡易保険が購入されたという事実である。「被庸職工及一般使役人」「商業」「工業」に分類された人々の多くは、そのような「庶民」であったと思われる。
 すなわち、貯蓄手段をあまり持っていない階層の人々であり、彼らが簡易保険に喜んで加入したのは、「保険」ばかりでなく、「貯蓄」に期待したためであろう。