第13回年賀状思い出大賞
新しい年の始まりに届く年賀状は、親しい人や普段は疎遠になりがちな人、そして、かけがえのない大切な人との思い出を呼び覚まさせてくれる貴重な一葉一葉だ。郵便創業150年の本年、㈱グリーティングワークス(德丸博之代表取締役会長)が企画し、日本郵便が後援する「年賀状思い出大賞」が13回目を迎えた。年賀状だからこそ、伝えられるものがある。今回、各賞に輝いた感動の受賞作品を全3回にわたり紹介する。
大賞 感王寺 美智子 様 「心待ちにしていた再会」
東日本大震災の後、気仙沼の仮設住宅で暮らしていた。「仮設住宅暮らしって言うと辛いでしょ?なんてばっか言われるけんど、おら達は違う。ここで、みんなで花さ植えたり、歌さ歌ったり、楽しい思い出いっぺえ作るべ。そんで震災から十年後、またみんなでここさ集まって、楽しかったな~って、笑って話すっぺ!」私たち住民は、そう約束した。
九州に越した私は、その再会を心待ちにしていた。今年がその十年。しかし、このコロナ禍。「年寄りばっかだし、落ち着くまで集まれねえっちゃな」昨年暮れ、先が見えない延期を決めた。
気仙沼から遠く離れ、寂しい気持ちで迎えた正月。届いた年賀状の束を捲ると、住民たちの名前が次から次へと現れた。お向かいのお母さん、大工のおじさん、九十歳の日舞の師匠さん……。テーブルの上に広げ、それぞれ住んでいた部屋の位置に一枚ずつ並べた。
「みんな、集まれたね!」みんなの笑顔が、賑やかに浮かんだ。
準大賞 中山 公太郎 様 「祖母との思い出」
高校生になった僕は、勉強机の整理を始める。引き出し奥に、古びたお菓子の缶を見つけた。幼い頃の僕が喜んで食べる姿に、祖母が何度も何度も贈ってくれたお菓子だ。その缶を開けると祖母手作りのフェルト人形と一緒に、僕が生まれてから欠かさず送られてきた年賀状が入っていた。「ここに仕舞っていたんだ」懐かしい祖母の字が目に入る。宛名には平仮名で「こうちゃん」と書かれ、小学生に上がる年には「公ちゃん」になり、もう少し大きくなると「公太郎くん」に変化していった。でも、内容はいつも同じ。「転んでケガをしないように。元気に大きくなってね」
もう来ることのない年賀状。だけど僕には分かるんだ。宛名は「公太郎様」。文面は同じ。きっと僕の身長は、とっくに祖母を追い抜いた。それでも、祖母の言葉は僕の心に留まり続け、僕は人生という道を真っ直ぐに歩んでいる。だから、僕からの年賀状はずっと同じ。「おばあちゃん、大好き」
日本郵便賞 山田 佳子 様 「年賀状を書く喜び」
八年前に大好きな主人が天国に旅立ってしまってから、何もやる気が起こらず、年賀状も一切やめてしまった。それなのに、一枚だけ毎年届く年賀状がある。
主人方の甥っ子、良浩君からだ。最初は年賀状が届く度、電話で「私はもう年賀状を出すのをやめたから、来年からは出さなくて大丈夫だからね」と伝え、納得してくれたものと思っていたのに、必ず翌年には良浩君から年賀状が届いた。
さすがに根負けし、五年前から私も一枚だけ年賀状を出すようになった。年末に誰かのことを想いながら年賀状を書く喜びを、良浩君は思い出させてくれた。
今年の良浩君からの年賀状に「お元気でお過ごしですか。連絡できることに感謝します。東京に行けることを楽しみに頑張ります」とあった。年賀状で連絡できる幸せに気付かせてくれてありがとう。こんなにも心を温かくしてくれる年賀状を、私は初めて知りました。
挨拶状ドットコム賞 黒木 碧恵 様 「野花の年賀状」
私のもとには、他とは少し違う年賀状が届く。そこには、干支も「あけましておめでとう」の言葉も書かれていない。そのかわりに、花が描かれている。その差出人は、私が小さな頃にお世話になった先生だ。
私が寮のある学校へと進学する不安に押し潰されそうな年にも、その年賀状は届いた。紫色の小さな野の花が描かれた横に「小さくても小さくても、ながくながく、咲きつづける」と書かれていた。それだけだったけれど、私を小さい頃から知っている先生の「小さな努力でも、積み重ねれば、きっと自分の力になるよ」という応援の気持ちが伝わってきた。胸があたたかくなり、不安が和らいだ。そして、描かれた花のように、強く頑張ろうと思えた。
あれから三年。私は順調に寮生活を送っている。辛いことがあっても頑張れたのは、あの年賀状のおかげだと感謝している。