お手てつないでー簡易保険局による小児保険の登場 郵政政策部会 米山高生部会長②

2024.09.17

 意外と思われるかもしれないが、戦前、未成年を被保険者とする「こども保険」が普及していた。そして、そのほとんどが生存保険だったことを知る人は少ない。生存保険の「こども保険」は、「こども」が保険期間の満期に生存していた場合に生存保険金が支払われるというものだった。

「小児保険」の額が掲げた郵便局に列を成して

 その「こども」が保険期間内で死亡した場合には、払込保険料程度の金額が支払われ、死亡保険金はなかった。当時の金利は比較的高かった一方で、有利な運用先を持たない庶民にとっては、ある意味では貴重な貯蓄手段の一つだった。
 簡易保険は、「こども保険」を発売するのが遅れた。しかし1931(昭和6)年に新しく発売された「小児保険」は、民間保険の「こども保険」とは商品構造を異にするものだった。
 「小児保険」は生存保険ではなく、養老保険をベースとするものだった。満期金を少額に設定し、あわせて早期死亡保険金請求に対しては減額措置をおいた。ともに保険金殺人などの不正請求に備えたものであった。
 民間保険会社の「こども保険」と比べると、保険金額に対する保険料は高額となるが、貯蓄性が高くなるという利点があった。
 掲載の画像は、簡易保険局の作成した絵葉書。子どもたちが列を成して「小児保険」という額が掲げられた郵便局に入っていく図柄である。
 蛇足ながら、当時は横書きは、右から読むのが通例だった。おせっかいだが現代語訳すると、「お手てつないでみなはいろう、太郎さんも花子さんもはいりましょう」となる。
 下段には「小児保険」の目的として、結婚費用や独立費用が挙げられているが、民間の「こども保険」と違い、死亡保険金が家計の助けになる旨も書かれている点に注目されたい。