第14回年賀状思い出大賞
伝えたい想いをカタチにする年賀状は、一葉一葉に大切な人と綴った懐かしくも温かな人生ストーリーがよみがえる。㈱グリーティングワークス(德丸博之代表取締役会長)が企画し、日本郵便が後援する「年賀状思い出大賞」が第14回を迎え、応募総数は1万を突破した。今回、全国から寄せられた802作品の中から、各賞に輝いた感動の受賞作を全3回にわたり紹介する。
大賞 角村 和玖 様 「背中を押す言葉」
僕には、もう七十歳を越えたおばあちゃんがいる。
毎朝五時に起き、ウォーキングを欠かさず行う。そんな健康なおばあちゃんから、毎年必ず年賀状が届く。僕は毎年くる年賀状をいつも楽しみにしている。
ある年は「頑張れ!」と鼓舞する内容で。またある年は、僕の将来を楽しみにする内容の年賀状を送ってくれる。
二〇一九年に届いたおばあちゃんからの年賀状には、こう記してあった。
「世間の風に負けるな」
風とは、他人の目や言葉を表しているという説明があり、この文章が送られてきた時は、心から驚嘆した。いつものおばあちゃんは、僕の前で手を引いて、優しく導いてくれていたが、この年は、背中を力強く押してくれた気がした。
おばあちゃん。今はあまり会えないけど、いつまでも僕の百倍元気でいてね。
準大賞 おが 様 「心が通い合った瞬間」
私が一番心に残っている年賀状は、私が父に宛てた年賀状だ。
私の父は、大切な物を空き箱の中に集める癖がある。今年の春、私はその箱の中をこっそり見てしまった。そこにあった一枚の年賀状。それは、反抗期だった私が父に宛てた年賀状だった。
当時、多忙だった父は、クリスマスも一緒に過ごせなかった。そんな父に私は反抗していた。しかし、あまりに疲れた様子の父を見て、せめて感謝を伝えたくて、私は筆を執った。
新年を迎え、父に届いた沢山の年賀状。直接渡すのは気恥ずかしくて、その束の中に書いた年賀状を隠した。その後も、父は気づいた様子はなかった。しかし、
「いつもお疲れ様、ありがとう」
その言葉が父に届いていたのだ。「嬉しい」この 一言で心はいっぱいだった。父も恥ずかしかったのだろうか。いや、多忙でそれどころではなかったのかもしれない。しかし、私には父の優しさが伝わってきた。
日本郵便賞 伊藤 潤 様 「年賀状じまい、しない宣言」
私も、もう数年で六十歳になる。年の離れた先輩たちからは、徐々に「今年で年賀状を最後にする」というコメントが添えられ始めた。しかし、私は無視して、翌年も送ることにしている。
最初は、私が出した後に返信したと思われる年賀状が大分遅れて届いていたが、二年目以降になると、元旦に届くものがちらほらある。本当は皆やめたいと思っていないのだろう。
ある方からの年賀状には、次のように書かれていた。
「歳をとって億劫だから、もう年賀状はやめようと思いました。そう書いて送ったから、次の年からは来なくなりました。あなたからのものを除いて。毎年の丁寧な賀状に元気をもらっています」
少しでも人様に元気をあげられたのなら、嬉しいではないか。来年も出し続けようと思った。
挨拶状ドットコム賞 福島 にこ 様 「教えられた大切なこと」
数年前、私は太鼓塾に通っていた。約二年間、全力で和太鼓を叩き続け、世田谷区主催の東京オリンピック関連イベントで演奏する予定だった。そんな最中、新型コロナウイルスが流行。一年以上、和太鼓の練習もできず、イベントでの演奏は中止。それに加え、急遽メンバーも解散することになった。これまでの努力が無駄になり、メンバーとも当分会えないと思うと涙が止まらなかった。
そんな時、メンバーの一人が年賀状を出し合わないかと提案してきた。当初は、オリンピックで発表できなかった悔しさを思い出してしまいそうで、年賀状を出すことに反対していた私。しかし年が明け、メンバーからの年賀状が届き、私は大きな間違いをしていることに気づいた。
年賀状には「一緒に太鼓ができて嬉しかった」という文字が。その一文は、発表だけが目的ではないということと、努力に裏切られても無駄にはならないということを教えてくれた。私の瞳からは、これまでとは違う意味の涙が溢れた。