第15回年賀状思い出大賞

2023.11.14

 第15回年賀状思い出大賞の作品紹介第2回は、佳作4作品を掲載する(写真は東京中央局での小学生による年賀はがきの模擬購入)。

佳作1 ココア 様
「おばあちゃんの優しい声」

 三十五年前の大晦日。小学一年生の私はとても焦っていた。クリスマス前に出したはずの、親友のチカちゃんへの年賀状が、クレヨンの下から顔を出したのだ。元旦に届かなかったら、チカちゃんはがっかりするだろうと思うと悲しくなった。その後、ふと思い付いた。明日の朝一番にチカちゃんの家に届けよう!


 元旦の朝、母に理由を告げて家を出た。チカちゃんの家に着くと、チカちゃんのおばあちゃんが雪かきをしていた。「明けましておめでとう。どうしたの?」その優しい声を聞いたら、私は「年賀状がね……」とだけ言って泣き出してしまった。なにかを察したおばあちゃんは私を家に招き入れ、玄関で温かいココアを出してくれた。冷たかった手がぽかぽかになった頃に、おばあちゃんが「他のお年賀と一緒に渡しておくから安心してね」と微笑んだ。私は今度は笑顔になった。
 チカちゃんのおばあちゃん、あの時はありがとう。

佳作2 やすよ 様
「ゆうびんやさん」

 年賀状を出すため、家の近くのポストへ行きました。年賀状を入れようとすると、娘が入れてみたいと言います。一枚一枚丁寧に投函する娘。ハガキを入れるたびに何やら言っています。「ママの大事なお手紙だからお願いね」とポストに話かけているのです。
 帰り道、娘に年賀状がどのように届くのか説明すると「こんなに寒いのに?」と驚いた様子でした。家に帰ると娘から「お手紙書いていい?」と聞かれ、私は余っていた年賀状を一枚、手渡しました。

 「ゆうびんやさん、いつもありがとう」と書いた年賀状を、家の郵便受けに貼る娘。郵便受けに手紙が入っていることが当たり前に感じていた私ですが、その様子を見て、当たり前なんてことは何一つないのだと気付かされました。
 雨の日も、暑い夏や寒い雪が降る中も、毎日手紙を届けてくださる郵便屋さん。元旦に届く年賀状を毎年ワクワクしながら待っています。これからも、この感動を日本全国へ届け続けてください。いつも本当にありがとう。

佳作3 SH 様
「世界で一枚だけの年賀状」

 正月は郵便受けがカタン、と鳴るのが待ち切れない。元旦の朝、今年一番最初の宝物が届くからだ。パステルのザラザラした質感と大胆な色のコントラストに、ボールペンで短く綴られた「あけましておめでとう」の十文字。憧れの作家さんが私だけに描いてくれた、世界で一枚だけの年賀状に、自然と口元が緩む。

 彼女の作品に一目惚れし、ネット上で何度かリプライを送り、遂に年賀状を送り合う仲になった。今年でもう五年目になる。匿名の年賀状トレードサービスを使っているので、私たちは未だにお互いの住所も本名も顔も知らない。しかし、昔馴染みの友達や恩師からもらう新年の挨拶と同じくらい嬉しくて、頬から指の先まで熱くなる。この瞬間を何より楽しみにしている自分がいる。
 SNSの時代に、顔も知らない人と年賀状のやり取りができるなんて不思議な気分だが、この最高の一枚を手に入れる口実ができて、今年もありがとうございますと、心の中呟くのであった。

佳作4 松山 潤 様
「年賀状の面白さ」

 年賀状歴三十年。わかったことがある。年賀状の面白さは、常套句以外のところにある。たとえば親父。普段は喋らない親父が年賀状ではちょっとうるさい。
 ある年は「健康第一。飲み過ぎ注意」と書いてみたり、栄転が決まった年には「驕るな。初心忘るべからず」とたしなめたり。リストラされたときは「酉年ならコケてもケッコー!」と励ましてみたり、全く別の職種に進んだときは「何事にも寅(トラ)イアル!」なんて、ちょっとおどけてみたり。

 年賀状には会話できる機能はない。ましてや、顔を映し出す機能もない。けれど、一年の初めだからこそ言える想いが、面と向かっては言えない本心が、文字を通してじんわりと表れる。そうか。年賀状は一枚じゃなくて、一人なんだ。
 今年は米寿になる父に、普段言えない感謝を綴ってみよう。いつもありがとう。身体に気をつけてな。