第14回年賀状思い出大賞
佳作5 鳥居ひとみ 様
「思いがけないメッセージ」
五十年前のことである。新しい年を迎え、私は看護師として総合病院で働き始めて、三年目になろうとしていた。
同期で入った人たちは仕事にも慣れ、テキパキと働いているのに、要領の悪い私は仕事をするのが遅いので、上司から何度も注意されていた。注意される度に、「私は看護師に向いてないのでは……」と、弱気になっていた。
そんな矢先、同じ内科病棟のS医師から年賀状が届いた。まさか、部長であるS先生から年賀状を頂けるとは夢にも思っていなかったので、驚いてしまった。さらに、裏面には力強い直筆で、「あなたの様な人は病院の宝です」と書かれており、読んだ瞬間、嬉しくて目頭が熱くなった。
医師だけでなく、一人の人間としても尊敬していたS先生からの年賀状は、弱気な私に自信を与えてくれただけでなく、落ち込んだ時、見ることで励まされ、元気にしてくれる心強い存在となった。
佳作6 山野久美子 様
「繋がっていられる喜び」
「よろしくね」「勉強がんばります」「アルバイト始めたよ」小さかったマキちゃんは毎年、年賀状に一言を添えてくれた。
彼女は私が二十歳から、たった三年間だけ勤めた保育園で担当していた子だった。まだ四歳だった子に、担任の鮮明な記憶などほぼ無いはずなのに、年賀状は今も続いている。思えば、小さな弟の面倒をよくみる優しい子だった。きっと、思いやりのある素敵な大人になったのだろう。私もはりきって一言を添える。
「友達とスキーに行ったよ」「会社ではマネジャーと呼ばれています」彼女とは小学校以来、一度も会っていない。街ですれ違っても、きっとわからないだろう。
「子供って大きくなるの早いねー」今年、四十歳になった彼女が書いている。ほんとにそうよね、マキちゃん。誰かの人生にほんの少し関わることができ、そして今も、こうして繋がっていられる喜びを噛み締めるお正月の朝。
彼女から届いた三十数枚の年賀状の束は、間違いなく私の人生の宝物だ。
佳作7 Tatsuro I. 様
「極寒の地での温かさ」
不惑の年になり、実家の整理をした際に発見した学生時代の年賀状。二十年前、アメリカに留学し、初めて海外で迎えた新年に受け取った年賀状があった。一月二日の到着に合わせてエアメールで送ってくれた友人、年末年始の忙しい中、輸送してくれた郵便局員さん、氷点下二十度の地の、学生が皆帰省し廃墟と化した大学寮に届けてくれた現地の郵便配達の方の努力に、心が温まったことを思い出した。
「俺はお前のような友を持てて幸せであり誇りに思っている」太平洋を渡った言葉は、学業や現地の学生との交流、貧困地域でのボランティアに勤しむ私の心の支えだった。
彼が関西に行って二十一年。顔を合わせたのは、彼の結婚式と親友の告別式以外では、毎年の年賀状だけ。彼に瓜二つの娘さんが加わり、昨年はついに生え際を気にして、笑顔のおでこから上を、はがきからはみ出してきたよな。
当時のこの一枚は、時も場所も越える絆。惑わず生きるひたむきな心を思い出させてくれた。
佳作8 nogami+ena 様
「親娘のしあわせ行事」
娘が年賀状を手作りしており、年末ギリギリに「お母さ〜ん、手伝って」と。色紙を様々な形に切ったり、糊で貼ったりと、一緒に細かい作業をしていた時の話。
母としては、大掃除や家の事をやりたい気持ちがあり、「これは母の修行? それとも苦行かな?」と、冗談めかしながら本音がポロリ。それを聞いた娘の返しが最高でした。
「お母さんがお手伝いをしてくれると、ユッコの好き好きポイントが沢山たまるでしょ。ユッコがお母さんのこと大好きだと、お母さん嬉しいでしょ。だから苦行ではなく、幸せ行です」と。
思わず笑ってしまった私。一つ一つ完成していく年賀状に、子どもと年賀状作りを楽しめる幸せを感じました。
今では、自分だけでスラスラと年賀状を書いている娘。子育てが苦行ではなく幸せ行と、いつ思い出してもあったかい気持ちになる、年賀状作りの思い出です。