インタビュー 加納聡 北陸支社長

2022.06.17

 北陸支社(加納聡支社長)は、福井県永平寺町の近助タクシーや石川県七尾市の証明書代理請求、小松市のマイナンバーカード申請支援等々、全国に先駆けた取り組みを展開している。北陸で生まれ育ち、営業畑一筋に歩んできた加納支社長は「〝一枚岩になろう〟が支社のキーワード。単マネとエリマネ、郵便と金融など、垣根を越えて協力し合っていかないと、これだけ厳しい事業環境は乗り越えられない。いい格好ではなく、魂を込めてやりたい」と現場に飛び込み、温かな励ましを続ける。

〝一枚岩〟になって再始動へ、魂込める

 ――昨年4月の支社長就任から、この1年を振り返られた感想をお願いいたします。
 加納支社長 僕は支社から程近い石川県金沢市の出身。近江町市場は子どもの頃の遊び場だった。北陸の一番の魅力といえば、やっぱり人の良さだと思う。お客さまも、社員たちも、あったかくて優しい人ばかり。だからこそ、甘えがあってはいけないし、お客さまを絶対に裏切っちゃいかんと思っている。
 コロナ禍で、さまざまな問題もあり、郵政人生40年の中で一番厳しい環境のときに支社長に就いた。逆に、そのような状況だからこそ知恵がいろいろ湧くし、やりがいもある。学ばされたことの多い1年だったと思う。
 今年は「再始動の年」と銘打ってリスタートを切り、〝一枚岩になろう〟を支社のキーワードにしている。郵便局と支社、本社、単マネとエリマネ、郵便と金融など、いろいろな区分けがあるが、垣根を越えて協力し合っていかないと、これだけ厳しい事業環境は乗り越えられない。
 会議・打ち合わせなどでよく、「その件は○○部だから、自分には関係ない」と言う人がいるが、僕はこの言葉が大嫌い。郵便関係の会議でも、必ず金融のメンバーを入れるようにしている。この逆も同様だ。
 金融と郵便のコラボ営業も進めている。郵便のお客さまに金融担当者を紹介し、窓口での一体型営業も推進している。金融の窓口にずっと座っていても、お客さまはなかなか来ない。一方、郵便には通販やフリマなどで若いお客さまも増えている。彼らを金融のお客さまにしていけるように協力し合い、「一枚岩」になって取り組むことが大事だ。

 ――かんぽの新しい営業体制に向けて、どのように取り組まれてきましたか。
 加納支社長 昨年7月に「新しいかんぽ営業体制準備本部」を支社で立ち上げた。かんぽ生命はもちろん、ゆうちょ銀行にも参加いただき、お力を借りた。改革での一番のポイントは、社員がどこまで〝腹落ち〟できるかだ。コンサルティングの社員だけでなく、窓口社員のケアも必要だと感じ、ミーティングを重ねて理解を深めてきた。大事なのはハート、心だと思う。
 4月から新しい営業体制が始まったが、机上の理論通りに行かないことは多々ある。営業自粛期間は知識的にはすごく得られたが、今まで試す場がなかったので、いざ「行きましょう」となったとき、怖くなる気持ちもあるだろう。
 そんなとき、先輩が背中を押してあげて、「何かあったらフォローするから」と支えてあげられるかどうかだと思う。問題はたくさんあるが、解決できない問題は絶対にない。いい格好をするのではなく、魂を込めてやっていきたい。

地公体に感謝される仕事を

 ――地方創生の取り組みや今後の展望を伺えればと思います。
 加納支社長 これまで、約9割の地方公共団体と包括連携協定を締結できたことは、ひとえに地元の局長の皆さんのおかげだ。感謝申し上げたい。長年、地元に密着して地域貢献活動に励み、行政の方々とコミュニケーションを取っていただいている。多忙な首長の方との面会も、地元の局長に頼めば、翌日には会えることもある。エリマネ局長の地縁性は本当にすごい。
 包括連携協定は、地公体と相互にウィンウィンで、中身のあるものとするべきだ。残りの地公体についても、締結ありきでやるつもりは全くない。これを結んだことによって、次の展開をどうしていけるかが大事。例えば、地公体が観光客を増やしたくて悩んでいれば、郵便局ネットワークを生かしてできることを提案し、我々の要望も伝えていきたい。
 小松市のワクチン接種予約やマイナンバーカード申請のお手伝いも、市から郵便局の窓口でサポートしてもらえないかとの要望を受け、契約を結んだものだ。石川県では「Go To Eatキャンペーン」や県独自の食事券も含め、郵便局のみで販売している。谷本正憲前知事の〝公的な仕事をしている郵便局でぜひ〟との強い思いを受けて実現したもので、現在の馳浩知事も継承されている。
 さらに、県内の全局長が「移住サポーター」として、移住・定住希望者の生活全般の相談をサポートしており、支社での「地公体担当局長会議」には県からも参加していただいている。今後は都市部での取り組みなど、一歩先へ進めていくことも検討中だ。地公体から信頼され、感謝されるような仕事をしていきたい。

 ――これまで、北陸支社の営業部長、経営管理本部長などを歴任されてきましたね。
 加納支社長 1983(昭和58)年に採用され、金沢中央局第二郵便課(当時)で、ゆうパック担当の配属になった。当時は、競合他社が伸びてきたときで、先輩から「昔は、この区分機からあふれるぐらい小包があった。俺はもう年やけど、おまえら若いやつは営業して頑張って、昔に戻さないかんぞ」と言われたことが、僕の原点だ。
 幸せなことに、営業畑一筋に歩むことができ、担当者から主任、係長、課長、部長を経験させていただいた。営業といっても、人と人とのつながり。お客さまはもちろん、社員とのコミュニケーションも大切にしてきた。元来、僕は体育会系。みんなでタッグ組んで頑張ろうぜ、というのが大好きで、皆に支えられてこれまでやってくることができた。

 ――人材育成などで取り組んでいらっしゃることを教えていただけますか。
 加納支社長 実は、支社長室でじっとしているのが一番苦手。1人で寂しいし社員たちの様子も分からない。本部長時代から始めて4年目になるが、毎日全フロアを回って声掛けをするようにしている。社員たちとの何げない会話から気づかされることも多い。
 また、コロナが少し落ち着いた頃から臨局も再開した。採用からずっと支社管内で営業関連の仕事だったので、どの局に行っても知っている顔がある。管理者はもとより、郵便外務社員でも班長クラスはだいたい分かる。
 社員から「課長になりました」とか「俺、結婚したんすよ」という報告を聞けるのは、うれしいことだ。時間が許す限り、今後も局を回っていきたい。
 民営分社化当時、郵便事業会社に配属になり、当時の郵便外務社員たちが「ファーストパーソン」となり、これからは一人一人が〝窓口〟になって頑張ろうと話した。一緒に汗水を流した後輩たちが期待以上に成長し、管理者等になっている姿を見られるのは、何より喜ばしいことだ。
 愛する北陸の地で諸先輩や仲間に育てていただき、今の自分がある。支社長としての最後の仕事は、僕が今まで得た経験を後輩たちに伝えていくことだと思う。人材・後継者育成をライフワークとして取り組み、地元に恩返ししていきたい。